これは私のやりたい毎日更新ではなかった

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昨日書いた日記に絶望している。

昨日の日記の特徴はこうだ。

・23時45分ごろ、ブログを書いていないことに気が付く

・2分で絵を描く(色塗りなし

・今日見かけた人の悪口を書く(300文字)

・日付が変わるギリギリで投稿する

こんなことではだめだ。

これは私がやりたかった毎日更新ではない。

そもそも私がやりたかった毎日更新とはどんなだ。

これではないことは確かだ。

こんなことを続けるなら辞めた方がいい。

毎日更新するメリットはなんなのか。

毎日記録をつけるのは、その日にあった出来事を後日思い出すためだ。

それを忘れてはならぬ。

その時にいいなあと思ったことを忘れないためだ。

別にやだなあと思ったことでもいいけど。

その大前提を忘れてはならぬのだ。

例えばその日耳にして、

口にしてみて良かった言葉や、

気持ちのいいフレーズ、

歌詞、名言などを書きとめておいて、

後で読み返せるとなんか良いじゃないか。

他には昔の行いを今の感覚で断罪するのにも使える。

あの時なんであんなことをしたんだろう、とか、

あの頃はよくやってたなぁとかを振り返ってみて、

「今ならやらないな」と断罪する。

それは正確に行われなければだめだ。

曖昧な記憶で、

「あの頃は若かったから色々未熟だった」

というような雑な振り返りでは気分が落ち込む

若いころの全てがだめだったということはないだろう。

毎日記録を残しておけば、

良い部分と悪い部分がはっきりわかるはずだ。

他には、私は毎日イラストを描いてせっせと保存しているが、

これはもちろん絵の成長を確認するためだ。

このように毎日記録をつけることはメリットまんさいなのだ。

何の記録も付けていないとどうなるか。

記憶に空白ができる。

記憶に空白ができるとはどういうことか。

その期間に考えていたことを一切思い出せないということだ。

今の自分の持っている考えの下地になっているものがわけわからなくなるということだ。

なぜ今この考えに至ってこれをやっているのかが分からなくなるということだ。

記憶に空白ができると同じことで悩み、同じ失敗を繰り返す。

かけていた絵が描けなくなる。

良いなと昔思ったことを忘れてまた良いなと再発見するなんて、

ボケてしまった老人のようだ。

記憶に空白ができるのはだめだ。

とにかくだめだ。

何月何日に何をしていたかが瞬時に引き出せないのはだめだ。

その間生きていなかったに等しい。

大学の4年間なんか何の記録も付けてないから、

4年も本当にあったのか今では疑わしい。

まばらに残る学生時代の思い出が何年生の頃だったのか覚えていない。

それはだめだろう。

ダメじゃないかもしれないけど、

今は直感でそれはだめなように感じる。

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まとめ

自分で自分に課したブログ毎日更新の重圧を受けて今こんな顔になっている。

おわり。

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