やさッシナ

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最近、私はやさしいと言われているらしい。

自分では自分のことをやさしい人だという自覚はない。

どちらかというと薄情な方だ。

2年前、実家の20歳になるネコがもうそろそろヤバい頃、

私も実家で暮らしていた。

何が一番ヤバいかというと、トイレだった。

このネコの排せつは、

かつては決められた場所でしかせず、完璧だった。

でも最期の方は廊下のいたるところでするようになっていた。

だから廊下中にシートを張り巡らしていた。

腎臓が弱っている老猫は、

昼夜問わず水を飲み、飲んだそばから用を足す。

だから昼は母が、夜は私が、

シートを交換などのトイレの世話をした。

具体的にはネコの足音で起きて、

ちゃんとおしっこをしているか見たり、

シートとシートの間から浸みて床が濡れていたら掃除したりしていた。

うんちが出なかったらお腹をマッサージしたりもした。

一番苦しいのはネコだからと思い、

初めのうちは苦ではなかった。

だがそんな生活は2か月で嫌になってしまった。

昼夜逆転生活をしていたわけではなかったので、

夜に起こされるのが心底無理になったのだ。

夜、すっかり後ろ足が弱って足を引きずるネコの足音を私は無視した。

自分で爪とぎが出来なくなり分厚く大きくなった爪が床にあたって生じる、

あのカシャー、カシャーの音を聞こえないふりをした。

トイレでないところにおしっこをしてしまって呆然としているであろう、

かわいそうなネコの姿をまぶたの裏ではっきりと想像しているのにも関わらず、

私は目を閉じ続けた。

翌朝交換されていないシートが母に見つかり、

えらい怒られた。

責任感の無さをなじられた。

私はいつも心のエネルギーと体力がなくなると、

正しくないことをしてしまう。

大好きで大事な、寿命間近のネコに対してでさえ、

己の睡眠欲を優先してしまうのだ。

だから私は決してやさしい人ではない。

実家のネコ、ポンちゃん

でもポンちゃん、あのとき決して嫌いになったとか、

そういうわけじゃないんだ。

本当は無視なんてしたくなかった。

一体どうすればよかったのか、

今でもわからない。

私はこのことは一生考え続けるのだろう。

いじょうです。

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