ニコニコ会話チケットって何?
それは私が今日思いついた言葉だ!
概念自体は昔からあるのかもしれない。
でもちょっとググってもヒットしなかった。
じゃあ、私が発案者だね!
うん!
クリエイティブだね、ヤマッシー!
思いついたいきさつは、こうだ。
私はややもすると”ギスギス会話”をしてしまうことがある。
相手が誰であってもだ。
話し相手が仮に大切な人や、
お世話になった人であっても、
ぶっきらぼうに答えたり、
無視したり、
思いやりがなかったり、
愛のない言葉をぶつけてしまうことがある。
当然、そんな自分が嫌いだ。
嫌いだし、人間関係でも大きく損をする。
昨日はニコニコ会話をしていたのに、
今日はギスギス会話をしていたら、
そんなの誰だって嫌だろう?
ではなぜギスギス会話をしてしまうのだろうか。
それは”ニコニコ会話チケット”を使い果たしてしまったからだ、
という考えに至った。
ニコニコ会話とはニコニコと楽しく会話することだ。
同世代の野郎の友達と話すときは、使わないかもしれない。
しかし、会話の相手が同世代でも女性だったり、
同性でもお年寄りだったり、
子供だったりした時は、
ニコニコ会話を続けるために、
言葉遣いや、使える比喩や、話すスピードをコントロールする。
そのときに消費されるアイテムがニコニコ会話チケットなのだ。
私は体感でこのチケットを100枚まで持てるような気がする。
いや、私にしかない概念なのだから何枚でもいいのだが、
仮に100枚とする。
そして日常的に100枚持っていることはまれで、
日によっては50枚しか持っていないことがある。
50枚しかない日は、
使う量をセーブしている。
使うとチケット貧乏になるからだ。
貧乏になるかもしれないという不安は、
私の行動を強く支配する。
私がたまにスペースが開かれているのを知りながら、
スルーして寝るのはこのせいなのかもしれない。
私はなぜこんなことになってしまったのか。
なぜ会話が苦手なのか。
これはおそらく、
日本にはびこる男は黙って精神のせいだろう。
やることやってんだから言葉にしなくていいということだ。
たしかに若いころはそれでもよかった。
むしろ口先ペラペラのペラペラ人間が、
高速で信用を失っていくのを見てきたし、
黙って結果を出す方が重要のようだった。
しかし今の私は衰え、
頭の回転遅め、
知能低め、
知識少なめ、
行動遅め、
外見汚め、
足臭め、の腐れジジイだ。
その上ギスギス会話しかできませんときたものだ。
お話にならない。
腐れジジイの居場所は社会にはないのだ。
私は死ぬしかないのか。
そうか・・・。
そうなんだ。
いままでの人生、
この彼女と付き合っていても、今後幸せはないなと思い、パッと別れた。
この会社で働いていても、今後幸せはないなと思い、パッとやめた。
こいつのツイートを見続けても、今後面白いことはないなと思い、パッとブロックした。
そしていまは、
生きていても、今後いいことはないなと思い、パッと窓から飛び降りるのだろう。
ツケを払う時が来た。
人を大切にしない人は、人から大切にされないのだ。
おしまい。
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